小松クラフトスペースのあゆみ
とりあえず当店の簡単な歴史を振り返ってみたいと思います |
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小松クラフトスペースは当初、小松呉服店という呉服屋であった。
小松呉服店の創業者小松金次郎は戦前帝国石油の石油試掘技術者であったが、兵役中、東南アジアでかかったマラリヤの影響で戦後リストラされる。路頭に迷った金次郎とその妻ナミエは身の回りの品々を商品として、1948年、秋田駅前に古着屋を創業した。(左写真、創業当時の小松呉服店、中央に立っているのが金次郎)
その後、着物を主とし靴下などの雑貨などを扱う商店に変換して行き、やがて高度成長に伴い高級呉服を扱ってきた。しかしながら創業者の高齢化に伴い低迷時期に入る。
二代目正雄は5人兄弟の末っ子に生まれる。店の跡取りは子供たちに次々と拒否され、「正雄こそ最後の砦」・・・とは誰にも期待されていなかったが、大学を2年で中退(厳密には退学)の彼には何処に行くあてもなく、結局気が付けば家業を継ぐ運命になっていた。 |
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初代金治郎は正雄に『金儲けに邁進するな、好きなようにしろ』とだけ忠告した。それは青春時代「石油王になる」ことを夢み、それをかなえられなかった金次郎の「夢の残り香」であったのだろう。
ろくな修行も出来なかった二代目は日本の着物生産地を隈無く歩いて研究すると宣言し、結婚間もない妻子を残し日本の津々浦々からアメリカ、ブラジルまで現実逃避の放浪の旅に出掛けていた。時には「沖縄に行く」とだけ言い残して旅立ち、一月以上も戻らないばかりか家には電話一本せず、周囲を呆れさせる有様であった。
1982年、正雄は新たに店舗を建設(右写真、現店舗)。これまでの商売から一転、「自分の趣味にあった商売をする」ことを決める。
暫くして、古代布復興にかけた米沢在住山村精氏に出逢い、貴重な教えを請い古代布に没頭する(1980年代)。
やがて古代布が時流と共にブームになると、「役割は果たした」と身を引く決意をし、世界の染織をはじめとする工芸品に視点を移した。そして90年代になり、国境とジャンルを越えて、店主がこだわった「手仕事の工芸品」を扱うギャラリーにかたちを変え、店名も『小松クラフトスペース』として現在に至っている。
こうしてミレニアムをなんとか乗り越えた『小松』であったが、正雄の悪い遺伝的を受け継いだ長男・和彦は、同じく大学卒業後(こちらは逆に2年余分に在学)行くあてが無く、実家で丁稚奉公する事に。かねてから「俺の代で暖簾をおろす」と言っていた正雄もこれには如何ともし難く、和彦が三代目を襲名することになった。 |
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